アラブ の 春 現在

Add: ewodovo67 - Date: 2020-12-07 11:34:32 - Views: 3428 - Clicks: 764

6 hours ago · アラブの春によって、中東・北アフリカ地域を強権支配していた指導者のうち、ある者は政権を追われ、ある者は無残に権力にしがみつき、各国は数年に及ぶ動乱や衝突、内戦に揺れた。 当時、ギマジさんは18歳だった。. 革命に成功したり、失敗した国もありました。また成功しても外部の勢力の介入により前よりも政治が悪化した国もありました。 その上、多様な思惑を秘めたあちらこちらの勢力の介入により全く訳の分からない状況になっている地域もあります。 ■年~ ●1月:チュニジアのベン・アリー23年政権崩壊 ベン・アリー大統領は宗主国のフランス亡命を希望するも拒否され、サウジアラビアに亡命する。 革命後は、現在に至っても国際機関などからの支援は治安や国防に費やされ、外国からの投資の誘致や本来の観光業の振興などに回せず、経済の立て直しができないでいます。 ●2月:エジプトのムバラク30年政権崩壊 ムバラク大統領はデモ隊の殺害の関与により終身刑となったが、やり直し裁判により最終的には事実上の無罪となった。 革命後の政府は軍部のクーデターにより倒され、現在も軍事政権が続いています。 ●8月:リビアのカダフィ41年政権崩壊 ジャスミン革命の影響によりリビアに内戦勃発、多国籍軍の介入により崩壊。市民革命というよりもカダフィ政権に危機感を持った欧米の特定勢力の水面下における介入が噂されています。. アラブの春、遠い理想 民主化運動から10年 年12月13日 05時00分 (12月13日 05時01分更新) 会員限定 3日、チュニジアの首都チュニスで、男性議員を. アラブの冬 (英語: Arab Winter) は、年代前半にアラブ世界で巻き起こった「アラブの春」が、その後権威主義体制や絶対君主制に回帰したり、内戦状態が続いたり、イスラーム過激派が活動を活発化させたりしたことで事実上挫折したことを指す言葉 。. . アラブの春は年にチュニジアで起こったジャスミン革命が発端と言われています。 チュニジアでは長年に渡る独裁政権に多くの国民が不信感を抱いており、抵抗を示すため一人の青年が焼身自殺を行いました。 イスラム圏内では自殺は禁じられており、青年の抵抗による自殺が人々へ大きな波紋と影響を及ぼしたのです。 これによりチュニジア全土で大規模デモから暴動が起き、1ヶ月も経たない間に当時大統領だったベン=アリーは国外追放され、20年以上続いた独裁政権に終止符が打たれました。 その後、同年10月に制憲国民議会選挙が実施され、イスラム主義政党アンナハダが第一党となり、12月には大統領と首相が選出されて民主化へ移行する新政権が始まったのです。 この民主化運動が中東へと広がったことがアラブの春へと発展することとなっています。 (出典:外務省 「チュニジア共和国基礎データ」) (出典:外務省 「アラブの春と中東・北アフリカ情勢」). アラブ の 春 現在 外務省 〒東京都千代田区霞が関2-2-1地図電話(代表)法人番号地図電話(代表). チュニジアの現在 「アラブの春」でもっとも成功したと言われるチュニジア。 独裁者を追放し、憲法を制定。民主的な選挙を開催しています。 しかし、現状は、テロによる治安の悪化。政府予算もテロ対策に回されました。.

シリアに関しては「戦後最大の人道危機」といわれています。 年に民主化を求める民衆のデモを当時のアサド政権が弾圧しました。 それにより政権と反体制派の戦闘が勃発。ロシアやイランがアサド政権側につき、米国やサウジアラビアが反体制派についたことで戦況は悪化して泥沼化してしまいました。 さらに、シリアにもイスラム国(IS)の勢力が伸びてきたことで3すくみの戦いとなり、いまだに決着はつきません。 年に起きた難民危機もこうしたシリアやイエメンからの難民が押し寄せた結果になります。 難民問題を解決するには根本的にシリアの内戦状態をどうにかしなければならないのですが、現状はどうにもできないというのが結論でしょう。. 他方、地中海地域の政治・経済の安定化に寄与するもっとも重要なアクターとも言えるEUは、どのように関与しているのだろうか。 アラブ の 春 現在 EUのこの地域への関与は、主として、欧州近隣諸国政策(ENP)と地中海連合(Union for the Mediterranean)という枠組みを通してなされている。 ENPは、EUと近隣諸国との間で個別の協定を結ぶことにより、EUがその枠組みの中で政治・経済・社会にまたがる様々な分野における支援を行い、近隣諸国の政治的経済的安定を促すものである。対象国には、ウクライナやベラルーシといった旧ソ連諸国のほか、地中海の南岸・東岸を形成するモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、シリアといった中東・北アフリカ諸国が主に含まれる。ENPにおいては、EUと個別の国との間で行動計画を結び、EUはそれに基づいて支援を行う。行動計画は対象国の情勢を踏まえてオーダーメイドに策定されるが、民主主義と法の支配の強化、人権擁護の推進、テロや紛争を回避するための政治対話や相互理解の推進、経済活性化・交易の強化等は、いずれの行動計画においても強調されている。対象国が経済支援を得るために、EUからのコンディショナリティが課されている構図となっているが、民主主義体制でないアラブ諸国との間において、こうした内容を盛り込む行動計画が締結されること自体が、EUの対外政策の成果として意味を持っていると言える。 EU加盟27か国(青色)以外の加盟国(オレンジ色): アルジェリア、アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、エジプト、グルジア、イスラエル、ヨルダン、レバノン、リビア、モルドバ、モロッコ、パレスチナ自治区、シリアチュニジア、ウクライナ 一方、地中海連合は、年に発足した枠組みで、1995年に始まった「欧州地中海パートナーシップ」(通称「バルセロナ・プロセス」)を引き継ぐものである。EU27カ国と、チュニジアやモロッコなど北アフリカの国々、イスラエルやパレスチナなど東地中海の国々、それにトルコやバルカン半島のEU未加盟国なども加わり、地中海沿岸を包括する地域的国際機構となっている。事務局がバルセロナに置かれ、地中海の「北」(=EU)と「南」(=EU以外)から、おのおの議長国を選出する共同議長制度を導入した(初代議長にフラ. アングロアラブが令和に復活「残したい血統」。極ウマ・プレミアムは、日刊スポーツ新聞社が提供する有料会員サイトです。毎週末に騎手. その後もアラブの春は終息せず、周辺諸国に拡散していきます。年に入るとシリアが内戦状態になり、アメリカ、ロシア、イラン、トルコなどがそれぞれの思惑のもとに介入し、泥沼の状態になっています。 イエメンも混乱しており、現在も内戦中でサウジアラビアとアメリカ対イランの代理戦争の場となっています。 バーレーンの大規模デモは、バーレーン政府の要請によるサウジアラビアを中心とする軍事介入により鎮圧されました。 その他西サハラ、モロッコ、ヨルダン、クウェートなども同様の騒動が起こり当局と衝突がありました。 そして混沌として力の均衡が崩れた地域に過激派組織、イスラム国が起こり、今日の結果に至っています。.

See full list on gooddo. 中東は現在も複雑にモメています。これはアラブの春が発生する遥か以前から欧米列強が関与していたことも大きく影響しています。 リビアなどは多数の部族で構成された国であり、部族同志の対立も激しく、それを統括するカリスマが排除されるや、たちまち独善的な浅ましい利権争いが勃発し、そこにイラクを追われたISの参入などにより未だに混乱が収まる気配がありません。 イスラム圏諸国は同じイスラム教であっても複数の宗派が存在し、宗派同志の激しい反目がみられることに特徴があります。 この宗教や宗派上での対立という難題への解決策を見つけ出すことは中東の安定のためにも、今後に残された重要な課題と思われます。. アラブの春は、現状を見ると希望ではなく絶望への道に繋がってしまっているようです。 失敗どころの騒ぎではなく、逆に状況が悪化してしまったのです。 当時運動に参加した人々は今どのような心境で自分の国を見ているのでしょうか。もし、民主化に成功していたのであれば、著しい発展が期待できていただろう未来が予想できるだけにとても残念でなりません。 アラブ の 春 現在 こうしている今もなお治安の悪化で、身の危険に怯える人々や内戦で難民となっていく人々が増え続けているのです。 しかしながら、そうした問題を根本的に解決する手段は現状ない、と言っても過言ではないでしょう。 もし、ここで武力介入すれば後世になって報復行為に走る国が出てくることも確実です。さらにイスラム国(IS)に傾倒する人々をせん滅するということも、現実的ではありません。こうなるとPKOや国連といったものも無意味でしょう。 思想と思想のぶつかり合い、いわゆる宗教戦争といったものは歴史上でも非常に根深いものとなっています。その理由は負ける=自己の否定につながるからです。宗教に関する認識が薄い日本人には理解しづらい感情だと思います。 しかし、第3者が介入することは確実に悪手です。私たちにできることはおそらくこれ以上犠牲になる人が増えないよう祈る事だけでしょう。私も北アフリカやアラブ諸国の人々の暮らしが一日でも早く安定するよう願っています。. リビアは産油国ですので、内戦が大規模化すれば石油市場にも大いに影響が出てくると思われます。 「アラブの春」は北アフリカの独裁政権崩壊後にも衰えず、中近東にも波及しました。その中で最も有名なのは、「シリア内戦」でしょう。 シリア内戦では、これまた同じくして独裁権力を握るアサド大統領が民衆の反乱を抑えるのに成功したため、内戦が異常に長期化し、アサド政権の長期独裁が現在も続いています。 この内戦の背景として、つい最近までアサド政権との繋がりが深い軍事大国ロシアと反政府武装勢力を支援するアメリカ、混乱に便乗して現れたイスラム国、それに自国での少数民族の台頭を恐れるトルコなどといった様々なパートナーが自国の国益を虎視眈々と狙っていました。 もしリビアで内戦が再燃すれば、特に原油産出国ということもあって、背景の大国プレーヤーも続々と参戦してくるかもしれません。.

革命4周年記念日のエジプトの状況について、海外の情勢分析者の意見は一致を見ている。スペンサーは、「限られた人々以外は記念日を祝わなかった。エジプト革命に最初の火をつけた人々の多くは刑務所におり、その火が燃え上がったタハリール広場は“エジプトの新政権に帰属する”治安部隊による厳しい警備下に置かれている」と書いている。 国内では、革命記念日をどのように扱うか、各政党や政治勢力の立場が明確になった。これは祝賀記念日なのか、それとも抗議の日なのだろうか? 正統性支持同盟(ムスリム同胞団を含むムルスィー氏支持派)はクーデターを否定し、「自由と尊厳に向かって進め」というスローガンのもと、デモ、集会および抗議行動を計画した。一方、他の政治勢力は暴力行為の発生を恐れ、参加を拒否した。 他方、政府は、カイロ中心部および地方のほとんどで、官民双方の重要な建物や施設、各国大使館、教会などの多くに対する警備を強化した。その理由として、ムスリム同胞団とその同盟者が1月25日に破壊行為、無政府状態や暴力を引き起こそうとしていることへの対策であると主張し、革命の象徴であるタハリール広場の装甲車が配備された各入り口に、さらに軍の部隊を配置した。. で、アラブの春の話を終えて、snsと現在について。 事実、アラブ圏の多くの国では政権の崩壊が起こっちゃいました。 これってやばいレベルで影響力があると思うんですよ。. 「アラブの春」から8年が経過した現在 イスラーム主義の迷走を徹底的に検証する 中東諸国の民主化運動「アラブの春」。これによりイスラーム主義運動は各国で「権力」と「自由」を勝ち取るが、その後の国づくりはことごとく頓挫してしまう。. アラブの春(Arab Spring)とは、年(平成22年)から年(平成23年)にかけてアラブ世界において発生した民主化運動の総称であり、年(平成22年)12月のチュニジアでの「ジャスミン革命」から、アラブ世界に波及し、現在も続いている。. アラブ諸国では政府への抗議デモが各地で発生しており、その背景には生活苦がある。年に発生した政治変動「アラブの春」はその後、シリア. 字幕:アラブの春から10年 中東の人々が語る破れた夢 独自:WHOのワクチン供給計画は「失敗の危険性」高い、内部文書が警鐘(字幕・17日) 京都. ところで、EUと地中海地域との関係の構図は、日本と近隣アジア諸国との関係に酷似している。 政治的・経済的な安定・繁栄を手に入れた先進国がある一方で、政治的には民主化以前の状況が支配的であり、かつ経済発展も一部の特権階層に限られ、市民全体がその恩恵に浴せるほど水準に十分には達していない国々(例えば中国)がある。しかも、そのような国々が近隣と対立を抱え、極めて不安定な(ときに一触即発な)関係を持っている場合がある、という構図には、EUと地中海地域との関係と、日本と近隣アジア諸国との関係の類似性が浮き彫りにされている。つまり、EUが地中海で進めている対外政策は、日本にとっての東アジア政策と多分に重なる点が多いのである。「アラブの春」が意味していることとして、地中海の「南」の国々での民主化が続き、アジアでも民主化の進みつつあるケースがあることを考えると、日本が近隣アジア諸国とのより深い関係を構築していく過程において、地中海の事例を一つのモデルに得られる知見は多い。 地中海連合という地域的国際機構は、日本の考えるべきアジアの地域協力に、一つの参考例を示しているとも言えよう。「東アジア共同体」の議論が、しばしば、EU統合との比較の観点で語られることがあるが、実は比較考量すべき対象はEUそのものではなく、EUとその近隣との関係にこそあるのではないか。すなわち、ヨーロッパが国際関係の軸に据えている多国間の枠組みによる対話の制度化とその有効性について、東アジアの文脈で検討することに意義があるということである。 (年11月30日記).

エジプトの1月25日革命4周年記念日にあたり、分裂、騒乱、緊張と悲嘆が支配する陰鬱な空気の中、本稿を書いている。悲嘆というのは、アブドッラー・サウジアラビア国王の逝去に哀悼の意を表して革命記念の公式イベントがキャンセルになったからばかりでなく、刑事裁判所の判決を受けて革命4周年の直前に検察が汚職で告発されたムバラク元大統領の息子2人の釈放を決定したためだけでもない。 この瞬間にも、エジプト国民自身の間に、1月25日という日のエジプトの歴史における重要性についての議論が拡大しつつあるからである。あれは革命だったのか、インティファーダ(蜂起)だったのか、それとも一部の者が主張するように陰謀だったのだろうか?. 1月25日に起こったことをどのように見るか。あれは革命だったのか、インティファーダだったのか、それとも一部の者が主張するように陰謀だったのか、一般のエジプト人の間でどれ程意見が割れたとしても、この日を祝賀するという全員一致の決定に影響する。明確な事実として、いつの日か―おそらく筆者の意見では、しばらく先に―エジプト人が革命記念日を祝う日がやってくるだろう。ことに、1月25日革命からの4年間は、革命を失敗に終わらせようとし、横取りし、革命開始当時に現場の先頭に立っていた人々、特に若者たちを中傷する徹底した試みにさらされてきた。その後の記念日は、真の祝賀でなくてはならない。 だが、1月25日革命の進路を覆う真っ暗なトンネルの真ん中で、ようやく出口の光が現れた。それは、年7月3日に発表された未来への行程表の遂行が代表している。年には、全ての国民の権利と自由を保障する現代的な民主的市民国家を築くため、憲法が現代的なものへ改正された。また、大統領選挙が実施され、一部のグループを代表するのではなく、国民全ての長として政権を握る大統領を生み出した。 未来への行程表の第3にして最後の段階として、来る3月に実施する人民議会選挙の準備が行われている。 年2月11日にムバラク元大統領を追放して以降に政権についた全ての統治者による過ち、越権行為や犯罪などの発生にもかかわらず、エジプトは政治的、社会的および治安上の安定を目に見えて取り戻した。. 「アラブの春」から10年近く経つがいまだに内戦がおさまらないリビア。「アラブの春」とは何だったのか、そして、今. (*答えは最下部にあります年頃、SNSを通じて団結した北アフリカ諸国のそれぞれの国民が、相次いで自国の長期独裁政権を崩壊させた動きを( )という。 (2) (1)の運動で、チュニジアではベンアリ政権、エジプトではムバラク政権、リビアでは( )政権が倒された。 (3) (1)の運動は中東のシリアにも波及したが、同国の( )政権はロシアのバックアップも手伝って長期独裁政治を現在でも維持している。 ******** (答え)(1)アラブの春 (2)カダフィー (3)アサド (※当記事に含まれる内容は年4月時点での情報です。情勢変化にご注意下さい。). 年代に北アフリカとアラブ諸国に大規模な大衆デモが広範囲に同時期に発生し、それにより体制が覆ったり、或いはそのデモが鎮圧されて失敗に終わったりといった事件が起こりました。アラブの春とはこの一連の騒動を指しています。 その根底には国民の失業問題や物価高騰への怒り、ひいては強権支配への不満及び自由と民主化への要望があります。 アラブの春はチュニジアのジャスミン革命が発端となって一気に周辺諸国に拡散していきました。 ■ジャスミン革命とは 年12月、チュニジアで一人の青年が政権に抗議をして焼身自殺をしたことに始まります。 この事件はたちまち国中に広がり、経済の停滞と失業者の増大、物価の高騰に苦しむチュニジア国民の政権に対する不平、不満、怒りが爆発し、国中の大規模なデモに発展しました。 チュニジアのベン・アリー大統領は就任以来、民主主義と人権に配慮した施策を採り、国民からもそれなりの高い支持を得て5期、23年に及んで政権を維持しました。 しかしその末期は、失政による物価高騰、失業者増大、加えて一族による利権の独占や麻薬、腐敗といった長期政権の弊害が顕れ、国民の怒りにより、23年の長期政権もあっけなく崩壊しました。 この時の政権崩壊劇がジャスミン革命と呼ばれています。 この年、日本では、3月11日に東日本大震災が起こり、5月にはアメリカではオバマ大統領がビンラディン容疑者を殺害したことを発表しています。.

アラブ の 春 現在 アラブの春(アラブのはる、英語: Arab Spring )とは、年から年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府 デモを主とした騒乱の総称である。年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また. 治安を維持する当局としては、デモが拡大しないように戒厳令を敷いたり、情報の規制や集会の禁止などにより取り締まることになりますが、それが機能しない状況でした。 ■デモの規模が大きすぎた 国民のほぼすべての階層の人がデモに参加し、前例のないほどの人数に膨れ上がりました。 デモは当初、個々の政策や不満に対するものでしたが、当局がデモに対して厳しい弾圧や発砲で応じた事により、政権自体の退陣を目的とするデモに変わっていきました。 ■当局の情報規制が追いつかない 当時は安価なスマホが出回り始めており、facebookやtwitterなどのSNSも広く利用されていました。これによりどこで何が起こったのか、どんな状況なのかがリアルタイムに知らされます。 スマホはイスラム諸国ではすべての階層で所有しており、話し好きの国民性からか生活には必須のアイテムのようです。 ■集会の禁止が不可能 イスラム的な宗教的儀式が催されることで同志が集まる機会と場所が常に存在する。このような国民的な儀式は当局も取締ができない。 こうした環境的な条件がそろってジャスミン革命は周囲のイスラム諸国に拡散していきました。. アラブの春を契機としたシリア内戦により、多くの人々が難民となり故郷を追われました。 難民となってしまった人々は、食糧や住む場所さえ得られず困っている人も多く存在しますが、生きていくために必要な食事や水、住む場所、医療、教育などを受ける権利を守るために様々な機関や団体が支援活動を行っています。 このようなNPO・NGOは、寄付などによってその活動資金が賄われます。 つまり私たちが寄付をすればそれが大きな力となり、間接的に難民を支援することになるのです。 寄付は数百円や1,000円などの少額から可能です。 多くの人が寄付をすることで、より多くの難民へ支援の手が届けられます。 一人でも多くの人を救うために、難民の現状を知り寄付を行ってみてはいかがでしょうか。.

6 hours ago · 「アラブの春」のきっかけとなった露天商の青年の壁画と荷車をかたどった彫刻が設置された広場。チュニジア中部の町シティブジッドで、(. See full list on nippon. . カダフィ独裁 年までリビアで事実上の独裁者として君臨していたのは、カダフィ氏でした。 (カダフィ氏:DAILY BEASTより) 同氏は一軍人でしたが、1960年代に当時の王政リビアを打倒して、自らを同国最高指導者であると自称、年まで一貫して半世紀にわたり独裁者となっていました。ちなみに、「大佐」という肩書は本人が勝手に使用していただけで、そういう職階を持っていたわけではありませんでした。 「アラブの春」の伝播 そんな中、隣国チュニジアで年末から翌年明けにかけて大規模な反政府運動が発生、長期独裁政権のベンアリ政権が崩壊しました。 きっかけは果物を路上で売っていた青年が、警察官に侮辱されたうえに商売する権利さえも奪われてしまい、抗議を示すために焼身自殺してしまったというショッキングな事件でした。 この事件がFacebookやtwitterなどのSNS上で爆発的に拡散され、日頃から生活や人権で抑圧されていた国民の怒りや不満が噴き出して団結、大規模な反ベンアリ政権運動に発展していきました。まさに、時代を反映する事件ですね。 国境の概念がないSNSの情報伝達力は、周辺諸国の同じような独裁者をも震撼させました。 (Googleマップより) チュニジアの次にエジプト国内が混乱、ムバラク政権が崩壊しました。この怒れるアラブ諸国民の独裁政権に対する反発と民主化を希求するエネルギーの波及を、「アラブの春」と呼びます。 (エジプトの「アラブの春」:アルジャジーラより) 特に北アフリカや中近東では石油が豊富で、独裁者はその富を国民に分配する一方で、国民の生活を厳しく統制する傾向にあり、権威主義(独裁)的となります。. その内実を描いた『「アラブの春」の正体』は好調に版を重ね、現在、5刷を数える。 「訪れたのは『春』ではなかった」と言う彼女が、この本で伝えたかったのは何なのか、そして、発端となったチュニジアのデモから約2年経った現在の姿とは。. アラブの春から10年 中東の人々が語る破れた夢(AFPBB News)【AFP=時事】「革命は、どんなことも可能だと私に教えてくれた」──チュニジアの反政府デモに参加した目まぐるしい日々を回想しな.

エジプト人およびアラブ人全般が陥っている陰鬱な状態について、英国人記者リチャード・スペンサーは、エジプト革命記念日の2日前に当たる1月23日付『デイリーテレグラフ』紙に掲載したアラブ諸国の最新情勢に関するレポートの中で触れた。そのレポートはいわゆる「アラブの春」を祝うものになるはずだったが、実際には「アラブの春の不幸な勝利」と題して次のとおりの内容になった。 「アラブの春の状態を評するには、悲劇という言葉がふさわしいようだ。地震や嵐のような出来事は災いではあるが、ギリシャ演劇の定義するところのいわゆる悲劇の要素が欠如している。ムバラク元大統領打倒に続く出来事は、さまざまな政権、抗議者グループ、政治運動などを巻き込んでいった。欧米諸国などの外国の政治指導者が、エジプト人たちが続けている様々な決断は悲惨なことにつながるだろうと再三警告したものの、結局、彼らはその大惨事に飲み込まれていった。」 アラブ の 春 現在 一方、スペンサーは他の「アラブの春」に関係するアラブ諸国の情勢について、次のように書いた。 「エジプトの情勢は、死者数千人と、刑務所で苦痛を受けた数千人の犠牲の上に、ある程度安定している。シリア人は、数十万人が殺害され、更に数十万人がシリア紛争終結前に殺害されるだろう。一方、リビアは民族主義者とイスラム主義者と連邦主義者その他の間の分裂に悩まされている。イエメンは“ホースィー派”民兵が大統領府を制圧し、残る国土にはアルカーイダがうろついている。」. 『 「アラブの春」の正体』著者・重信メイ特別インタビュー 「アラブの春」の現在. アラブの春は年初頭から中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動です。アラブの春が起こった背景には、チュニジアで起こった民主化革命運動「ジャスミン革命」が関係しています。 中東や北アフリカ諸国では長期的な独裁政権が続いている国が多く、国民は不満を抱いていました。そんな中チュニジアで起こった民主化運動は多くの人々に勇気を与え、立ち上がる決意を与えました。 これまでも限定的な政治参加しかできなかった民衆が変革の原動力となり、大きな革命運動が各地で起こったことにより、アラブ諸国の情勢を変革させた動きを「アラブの春」と言われています。 大きな民主化運動は独裁政権で苦しめられた各国の国民へと広がっていきましたが、その中には今も内戦が続いているシリアにも波及しています。 21世紀最大の人道危機とも言われているシリア内戦もアラブの春をきっかけに始まったとされています。 それまでアサド政権に弾圧されていたスンニ派の人々がこのアラブの春に呼応し、行動を起こしたことがきっかけで、ここまで続く内戦へと発展していったのです。 (出典:外務省 「シリア・アラブ共和国基礎データ」) (出典:外務省 「アラブの春と中東・北アフリカ情勢」).

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